「野菊の墓」

ハイ!ミドリです!っと言う訳で今日は、松戸の人間として

伊藤左千夫さんの「野菊の墓」について言及したいと思います。

コサカこう見えて、文学部専攻なんだす!!(>人<;)途中法学とかもやってたんですが、最終的に社会言語学専攻になって、そんなに文学詳しくはないのですが、(→地方の生きた言葉解析するほうだったので、、、)今回は大大大好きな「野菊」について語りたいと思いまする( ̄^ ̄)ゞ

ざっくりストーリー→昔から一緒に遊んでて、年上でお姉さんも同然の民ちゃんと弟同然の政夫ちゃん。思春期に周りからガヤガヤ言われて、お互い意識し始める。

→からの、まさちゃん遠くの学校

→民ちゃん結婚

→民ちゃんお亡くなり、、、、

→未だにお互いのことを想う。

って典型ストーリー??なんですが、、、

言葉が美しい。

政夫さんと民子さんがお母さんにガヤガヤの言われて、「小さな恋の卵が、幾つか湧きそめて居ったに違いない」とか、

「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」「それで政夫さんは野菊が好きだって……」「僕大好きさ」 民子はこれからはあなたが先になってと云いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。 何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるのであれど、野菊の様な人だと云った詞についで、その野菊を僕はだい好きだと云った時すら、僕は既に胸に動悸を起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだずうずうしくはなっていない。民子も同じこと、物に突きあたった様な心持で強くお互に感じた時に声はつまってしまったのだ。

出典:青空文庫

この下りが、メチャメチャ好きです(>人<;)表現っていうのはいつの時にも難しいと思うんですが、美しすぎて、このくだりでいつも泣いてしまいます。このやり取りの儚さと、野菊にかけた絶妙さ、、、ムムム

やはり野菊野団地の横に住んでるからなのか、、、

ワシもこんな風にココロに響く表現力をいつか養いたいとココロから思っています!

個人的にここでの大事なところは、頭からその前までは政夫さんの一人称スタートで、政夫目線から入り、この起承転結の承から、一人称は変わらず、この場面掛け合いを敢えて多くしている事から、物語の広がりを大きくしているのもミソではないかと思います。

そしてこの時代特有の、段落の分け方も読む時の醍醐味だと思います!

現代の映像とともに、、、と言う考えもそうだけど、言葉がものを伝えるんだな、、、っともっと考えなきゃいけないなぁと思いました。

ただ、未だに政夫さんの家がわかりません。。。。野菊野団地、和名ヶ谷?だが、、、

松戸から2里(8キロ)かつ川渡る、、、(矢切)で、、どこかわからんwww

野菊野団地、松戸のすぐ近くwww